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認知症の母(318)

母の記録【二百九十五】
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2015年10月10日(土)
曇り。「涙雨」にはならない。
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息を引き取ってから6日目。
友引や火葬場の混雑により告別式が今日に日延べする。
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遺族控室で兄と二人で泊まったが、夜中に何度も目が覚める。
コンビニまで兄と朝食を買いに行く。
この斎場は、コンビニはすぐ隣にあり、市の火葬場も近くにある。利便性が抜群である。
遺族控室にはシャワーとバスタブまである。ちょっとしたビジネスホテル並み!
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遺族と親族だけでの家族葬。
家族葬は私の願いであり、妻も兄夫婦も承諾してくれたのである。
メモリアルコーナーに飾った写真を見ながら思い出話に花が咲く。
親族以外にお世話になったたくさんの方々には誠に申し訳ない気持ちであるが、親族だけで母に冥福を祈る気持ちをゆっくり手向けることができた。
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告別式も兄の主導で営む。
兄の挨拶の後、母の介護のことや病状などを私が話す。
ブログで詳細に綴ってきたが、いざ親族の面前で話すとなると上手くできない。この目で見て身をもって処してきたことを淡々と話すように努める。
母の最期を看取ったのは私一人なので、最後にその様子を語る。
老健(介護老人保健施設)に入所しているときから面会の度に、これが最後になるかもしれないという覚悟で写真を撮っている。母の臨終の前後も撮影している。A4の紙に、息を引き取る数分前の写真、息を引き取った(と思われる)数分後の写真、そして当直医による死亡確認後に病院側で死化粧していただいた写真の3枚をカラープリントし、親族に見せながら子細に話す。
出棺前の献花の際、それまでは強く悲しみの感情はなかったが、母の顔を覗き込み、
「ありがとう」
と最後の別れを告げると、いっきに悲しみが湧き上がる。
滂沱の涙が止まらなかった。
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死後6日目2015年10月10日(1)
兄が撮影した自宅に戻った母の遺影と遺骨である。
遺影の後ろにある箪笥は、母の嫁入り道具である。10月14日は亡き父と亡き母の結婚記念日・・・。
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(記:10月14日)
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追伸:
これで一区切りつけることにした。
認知症の母」は、今回の318回で終了である。
これからは「追憶の母」と題して新たにスタートしたい。
母の想い出や介護・医療のこと、老年のさまざまな問題なども考えていきたいと思っている。
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認知症の母(317)

母の記録【二百九十四】
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2015年10月9日(金)
秋晴れ。
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息を引き取ってから5日目。
夜7時から兄の家族と私の家族のみで通夜を営む。
死後5日目2015年10月9日(1)
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湯灌(ゆかん)。
専用の浴槽の上に母の遺体が置かれている。顔以外はバスタオル・布で覆われている。
二人の湯灌師が足元から胸元にかけてシャワーをかける。
入院中は清拭だけだったので、50日以上ぶりに身体が洗える。母もきっと喜んでいるだろう。
見守る家族一人ひとりが、母の足元をシャンプーの付いたタオルで拭く。
身体全体は湯灌師が洗う。洗髪はシャンプーを二度付けてくれた。心遣いが嬉しい。
最後に顔を洗い、顔剃りまで行う。
母に着せる洋服を湯灌師に渡す。母の一番のお気に入りだ。
身支度ができるまで、控室で待つ。
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いよいよ納棺。
母の髪の毛はきれいに整髪されている。
口の中に詰め物を入れ頬がふっくらしている。薄化粧で見違えている。
家族全員でシーツを持ち、母を納棺する。
靴下にマジックで書いた母の名前が見える。介護施設で履いていた靴下だ。妻の配慮である。
帽子と手提げ袋を棺の中に入れる。手提げ袋はデイサービス等を利用するときによく使っていたものである。母にとって一番懐かしいものであるに違いない。
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死後5日目2015年10月9日(2)
兄の主導で通夜を営む。
霊前には母の大好きだったチーズスフレとコーヒーを供える。斎場側のご配慮に感謝する。
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今夜は兄と二人で遺族控室に泊まる。
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(記:10月12日)
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認知症の母(316)

母の記録【二百九十三】
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2015年10月8日(木)
秋晴れ。
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午後、霊安室にいく。
母の顔の白布が、昨日と少し掛け方が違う。
焼香台に書置きがあり、地域の某団体の皆様が弔問に訪れて頂いたことが分かる。
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心の中でお礼を述べる。
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認知症の母(315)

母の記録【二百九十二】
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2015年10月7日(水)
秋晴れが爽やかだ。
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母は、今日も霊安室で静かに眠る。
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認知症の母(314)

母の記録【二百九十一】
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2015年10月6日(火)
陽ざしが眩しく、天高く青空が広がる。
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母は安置室で静かに眠っている。
死後2日目2015年10月6日(1)
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息を引き取ってから、まだ一日も経っていない。
息子にとって母を亡くすことは、計り知れない悲しみである・・・。
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合掌
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認知症の母(313)

母の記録【二百九十】
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2015年10月5日(月)
入院52日目
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午後9時30分、母、永眠。
享年88歳。
死因、誤嚥性肺炎。
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午前中に兄と二人で主治医の説明を聴く。
肺炎は右肺だけでなく両肺とも重症になる。
内臓出血は、胃がんも疑われる。
腎臓機能の低下など多臓器不全に陥る可能性もある。
呼吸停止、心臓停止のとき、延命処置はしないことにした。
最期まで入院治療していただくことをお願いする。
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午後、兄に看てもらい、会員になっている互助会に妻と二人で相談に行く。
私が出かけている間に、小規模多機能ホーム “ななかまど” さんから三人お見舞いに来て下さった。三人とも親身に母を面倒みていただいた介護士さんである。嬉しいことである。
夕方、兄はいったん自宅に帰る。
夜7時すぎに病室に戻る。
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夜9時24分ごろ、それまで激しく呼吸していた母が目を大きく開き、虚空(天井)を見つめている。
今日は早朝の写真しか撮っていないので、急いで撮影する。
あっ!胸で呼吸していない!!
午前中の主治医の説明にあった下顎呼吸(かがくこきゅう)。顎だけで呼吸している。
母はゆっくり顎を動かしては止まり、動かしては止まる動作を数分にわたって繰り返す。
必死に酸素を求めている。
ナースコールを押しまくり、大声で母に呼びかける。
急いで兄、妻、市内に住む親族に電話をかける。
もうすぐ最期だと直感し、母の手とおでこを触り、
「もういいよ、楽になってね」
母に最期の別れを告げた。
「よく頑張ったね」
「いままでありがとう」
そう言ったときには、事切れている・・・。
看取ることができたのは私一人だけだった。
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母のバイタルを監視している装置は、最初とてつもない異常値を表示し、やがて横線だけになった。
この間、撮影した写真のタイムスタンプと錯綜している記憶から推測すると、ほんの5分間の出来事である。
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当直医による死亡確認は、2015年10月5日午後9時40分。
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(記:10月6日)
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認知症の母(312)

母の記録【二百八十九】
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2015年10月4日(日)
入院51日目
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陽ざしは暖かい。
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午後、面会に行く。
一目で容態が進んだのが判る。
即座に「昨日よりも悪化」と兄にメールを送る。
「覚悟する必要ある」と付け加える。
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看護師さんのアドバイスに従って個室に替えていただく。
西日が見える角部屋。
今夜から病室で付き添うことにし、申請書を書く。
入院51日目2015年10月4日(1)
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夕方、兄が到着。
母とのツーショットをお互いに撮り合う。
入院51日目2015年10月4日(2)
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兄がいる間に一旦家に帰り、寝泊りの支度をする。
先日お見舞いに来てくださった小規模多機能ホーム “ななかまど” さんに事情をメールで知らせる。
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兄は夜遅く自宅に帰ったが、明日の午前中に主治医から話しがあるので、また来ることになる。
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深夜、母の呼吸は荒い。
母の呼吸音と、ぼこぼこ聞こえる酸素吸入の音、血圧などを測定し値をリアルタイムで表示するバイタル装置のアラーム音だけが病室の中に響いている。
入院51日目2015年10月4日(3)
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母が時折上げる大きな声で目が覚め、なかなか寝付けない。
それでも0時過ぎから2時くらいまで母は眠ったようだ。その間は呼吸も落ち着いている。
空が白み始める。
眠ろうとして目をつぶってみるが、まるで寝ていないように感じる。
ほとんど寝不足だろう。起きる。
(記:10月6日)
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認知症の母(311)

母の記録【二百八十八】
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2015年10月3日(土)
入院50日目
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晴れ。歩くと汗ばむ。
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夜、面会に行く。
今日も40度くらい発熱し、解熱剤で平熱に下がっている。
目を閉じていたが、私の顔を認めると「あ”」と声が漏れる。
胸全体で荒い呼吸をしている。苦しそうだ。
鼻からの酸素吸入が、今日は鼻と口をカバーする吸入器になっている。
先週、連日、抗生剤を投与している。それでも高熱を発している。抗生剤が効かなくなっていると思われる。
唾による誤嚥性肺炎が慢性化しているのかもしれない。
入院50日目2015年10月3日(1)
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手足のマッサージはやめておく。母の手を握って見守る。
面会時間の終了を告げる院内放送が流れる。
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認知症の母(310)

母の記録【二百八十七】
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2015年10月2日(金)
入院49日目
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雲は多いが晴れる。少し暑い。
これからは一雨ごとに寒くなるのだろう。
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正午ごろ、病院の医療相談員さんから電話が入る。
第一希望の療養型病院に転院が決まった。
熱は上がったり下がったりしている。
今朝は36度台に下がっているが、昨夜は40度くらいに上がったようだ。
酸素吸入しているとのこと。
小康状態を保つのはなかなか難しい・・・。
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午後、面会に行く。
入院49日目2015年10月2日(1) 入院49日目2015年10月2日(2)
酸素吸入は鼻からおこなっている。
胃の内容物を吸引する管も鼻に通しているので、痛々しい。
その他にも点滴の管や尿の管もあり、仕方がないとはいえ母が可哀想だ。
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呼吸は荒い。喘ぎ声を上げている。
マッサージはしないほうがよさそうだ。
髪の毛だけは梳かして、せめてもの身だしなみを整える。
袋に少し溜まっている胃の内容物は、うっすらと黒い。出血は止まっていない。
母の手を握っていると、母の腕全体と手に力が入る。内臓の出血しているところが痛いのではなかろうか・・・。
何もしてあげられず、見守ることしかできない。
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実習中の看護学生が病室に来る。
「○○病院に転院します。短い間でしたが、ありがとうございました」
実習生が在籍する看護学校は、偶然にも転院する療養型病院が運営している。
これも何かの縁。
「これからも頑張ってください」エールを送る。
実習生は笑顔で明るく、母に今日の別れの挨拶をする。
微かだが母が返事をしている。
「ありがとうございます」母の代わりにお礼を述べる。
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母の担当である看護師さんからお話しを聴く。
熱が40度に上がったときは顔が真っ赤になる。それでも母は生きようと闘っている。
熱が上がっている最中は悪寒が走り、身体全体に力が入る。
体力は消耗するが、母の生命力に頼り、見守る。
解熱剤は常時服用できない。それでも1度でも下がれば楽になる。
実習生といっしょに清拭する際に、少し時間がかかると「もういい」とはっきり話して訴えている。
朝、「おはよう」と返事をするときもある。
お話しを聴きながら、母が「今、懸命に生きている」ことを実感する。
看護師さんに深くお礼を述べる。
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認知症の母(309)

母の記録【二百八十六】
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2015年10月1日(木)
入院48日目
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小雨。明日は急速に発達する低気圧の影響で大荒れになるとか。
今日から神無月(かんなづき)。
出雲に神々が集まるので、日本各地では神様が不在になる・・・という語源の説もある。
神話の魅力の一つである。
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11日ぶりに(!?)面会に行っていない。
午後、病院の医療相談員さんから電話がある。
主治医の指示で、療養型病院への転院に向けて動くとのこと。
家族が第一希望にしている療養型病院で、今月、医療病床が空く可能性があるようだ。第二希望と第三希望の病院は、医療相談員さんがキャンセルの連絡をして下さる。
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9月半ばから高熱を発し、その後は熱が下がったり上がったりしているが、小康状態であることは面会の度に感じている。
明日は面会にいこう。
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写真は、長女が1歳の頃...かなり昔なので、店主も若い!(笑)
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